ご機嫌、いかがですか?読者諸兄諸姉の皆さん。
突然ですが、この日本社会は生きづらいですか?それとも幸せですか?
私は、大変生き辛い人生を送ってきました。実際のところ、日本は十万人あたりの自殺率の高い国なのです。

今の日本では日々不安を感じながら生きている方は多い。なぜ、生きづらいのか。
この疑問の答えは、なかなか難しいのですが、一つに他者からの評価を気にして、他者からのディスリやバッシングを気にしてしまう。他者からの批判に反応してしまう。そんなところにあると思います。
実際問題、元社畜の私もネット空間や職場で批判され、圧迫され、暴言を浴びてきました。
日本社会はやはりパワハラが多く、ギスギスしている職場は多いのだという。

YOUTUBE 学識サロンより引用
今回は、そんな生きつらい現代社会を生きやすくするための知恵を紹介していきます。

心の安寧を求めて:元社畜に光をあてる原始仏教の教え
皆様、「仏教」というとどのような印象をもたれるでしょうか。線香くさい、死の(葬式)イメージはつきまとう、辛気臭いなどのネガティブなイメージをお持ちの方々も多いかと思います。
ところが、デイスることなかれ、仏教哲学は、生きづらさを緩和する心の薬のような作用もあるのです。特に西洋のキリスト教ナイズされてる大乗仏教ではなく、ゴータマ・ブッダが提唱していた原始仏教の哲学にエッセンスがこめられてます。
仏教のお経、「般若心経」の中に
「色即是空、空即是色」という言葉が出てきます。
これは、現代語訳すると、「色や形のあるものは実は、実体はなく(空っぽ)、実体がなく空っぽだからこそ色や形をもって現れるのだ」という意味らしいのですが、当初は「なんのこっちゃ?」という感想でした。

ここで、原始仏教の講釈を拝聴した元社畜的owakonの解釈を語らせて頂きます。
「心の悩みは妄想(色)である」
「そして、世間の価値観や世間的ステータス(年収、肩書、いい車、いい会社、職業)というものも、時代や国によりがらりと変わる案外頼りないものであり即ち色である。」
「そのようなどっしりとした実体のないもので他人を計り、また攻撃するのは無明(無知で愚かしい、滑稽)である。そして、そのような他人評価や世間体で自分を貶めるのも無意味で、ナンセンスな思い込みなのだ。」
また、「自己受容できておらず、自己愛のない、自信のない者は空っぽであり、空っぽだから色(世間的なステータス、いい車、いい会社、肩書、いい妻、いい学校、、見栄、収入)を持って現れるのだ」
ふむ、しっくりきました。



原始仏教哲学を現代社会にどう活かすか
このowakon、幼少期は毒親育ちでありました。我が父は、短気であって、攻撃的で、己の価値観を強引に押し付けてくる傾向がありました。無条件の愛や肯定は不足していたと思います。そんな環境もあって、他者評価や親の物差しに敏感で、自己肯定感は不足し、自己受容できておらず、世間評価を気にして他人のデイスリやバッシングに弱い子供に育ちました。
そして、我が家庭は保守的な家庭で「無職は駄目ニート」で許されないというポリシーがありました。そしてまた、日本社会においても、無職は無気力なニートであり、恥で冴えない3流社会人という風潮がありました。そうなると、地獄の始まり、始まり。生きづらい人生のロードが始まったああああああああああ!

なぜなら、日本社会において、パワハラやブラック企業は多く、労働者にとって地獄だからである。私のこれまでの記事にも書いたが、パワハラ上司や先輩は両手の指で数えきれないほど遭遇し、不当解雇の憂き目にあったり、裁判になったり、適応障害などのメンタル疾患になったり世知辛いのである。
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「勤労の美徳転じて呪いと化す」という言葉があります。これは働くのが素晴らしいとする風潮が強いあまり、働けない人や適切な職場に会えない人を追い詰め苦しめたりする作用です。その上で、資本主義の価値観が幅を利かせて「収入のある奴が偉い、仕事頑張る奴が偉い」となったら、低収入の人や無職の人は立つ瀬がなくなり、自己肯定感は崩壊します。世間の価値観に潰されてしまいます。


そこで、役に立つのが、自己受容なのです。世間の価値観や他者評価に怯えない自信であります。

「仕事ができなくてもいい、収入が低くてもいい、結婚できなくてもいい、勉強できなくてもいい、自分には価値がある。存在しているだけでもありがたい。そう上野動物園のパンダちゃんのように」

そのような心持ちになると、他人の批判に動じなくなり、自分の好きなように行動できるようになります。
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例を挙げます。
辛い職場をやめて、当分無職になる状況とします。

仕事辞めるの。根性がないなあ。そんなのどこに行っても通用しないよ、ニート君。
自己受容できているメンなら

この人は、不満抱えて生きててコンプレックス丸出しじゃない。そんなんだから人が離れていくのよね。可哀そうな人よね。こんなパワハラいっぱいのブラック企業辞めてやるわ。
自己否定してるメンなら

そうね。あたしってダメ人間ね。甲斐性がないわ。ごめんなさい。もうちょっと頑張らないと。
あるいは

辞めるだと。当分、無職になる気か。普通は次の仕事決めてから退職するもんだろ。無職になって生活するなんて、社会人として3流。ダメニートだぞ。生活保護受けて、俺らの税金で暮らすなよ。いいか、社会ってもんは厳しいんだ。
自己受容メンはこう捉えます。

大きなお世話です。それってあなたの価値観ですよね?生活保護バッシングなんて先進国の民として恥ずかしいですよ。そんなの資本主義の物差し。ブラック企業に都合のいい価値観で、そんなのに振り回されたら社畜一直線じゃないですか。当分、海外旅行にでも行きます。



「無職」なのに日本に旅行(馬籠宿)にきていたイタリア人エドさんの言葉。
自己否定メンだと

俺は、社会の落ちこぼれなんだ。何も生産しないウンコ製造機なんだ。世間は皆、そう評価するんだ。
そして、辞めるのを躊躇し無理をして、社畜となり、破滅(うつ)へと導かれるのです。導かれし者たち(ドラクエⅣ、副題)なのです。これでは、辛い職場をフリーに退職することすら憚られる。

お分かりいただけましたかな?
この生きづらき日本社会を生きていくには、自己受容し、自己肯定感を育むことが肝なのです。これは、デイスリやバッシングの防波堤となり得る。
この点は、仏教の哲学でも説かれております。

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万松寺の坊さんの教え

私の住んでる名古屋市では、中区大須の万松寺において第4土曜日に仏教講座が開かれております。


そこでは、説法だけでなく、説法内容を書き記したレジュメも配布されます。ご丁寧に。あと、お抹茶も提供されます。私、元社畜も生きづらさ解消のヒントを得にたまに行きます。受講料は500円です。


バババーーーーーーン。
「他人からの評価で、自分の価値は決まらない」
資本主義の世界では、収入や仕事能力で人格まで判定されがちだけど、仕事が全価値基準ではありません。上司のご機嫌が悪くても放っておきましょう。上司や同僚のわがままに振り回される必要はありませんし、怯える必要もありません。
他者評価、ましてや世間の流行りや価値基準なんて所詮は諸行無常。虚ろなのです。



坊さんもいいことを言います。元気づけられます。
アナと雪の女王のアニメで「ありのまま」でという歌がありました。
仏教哲学と西洋の心理学はこんなところで共通点がございました。「ありのままで」、、、、、、、自己を受け止める。
例え、ハゲであろうと、デブであろうと、ブスであろうと、成績が悪かろうと、チビであろうと、体が貧弱だろうと、お仕事が無能だろうと劣っているところも見つめて受け止め、デカきコンプレックスを抱かないように心がけするのです。
さすれば、世俗のつまらない価値観や小人(心がせまい至らない人)からのバッシングに怯えず、生き生きと生きやすくなるのであります。



昭和・平成の方々からの予想される反論:ありのままなぞ許さんぞ
こんなことを言うと

ありのままだと。許さん。そんなんじゃ努力せんじゃないか。向上心がない。
そんなんじゃ、経済競争で韓国に負ける。情けないぞ。ブツブツ。
現に、所得水準で韓国なんかに追いつかれたではないか。

確かに、「ありのままでいい」と言われるとお勉強を頑張ったり、仕事の腕を磨いたり、不出来を改善したりする動機付けが弱まるでしょう。
ここで肝心なのは、劣等コンプレックスを大きくしない点が大事なのです。
劣等コンプレックスが大きいと他者に対して攻撃的になるのです。人間、自分に自信がなく、不満を抱いていると、自分よりも目下の者を馬鹿にして、相対的に己の価値を高めようとする心理作用があります。こういったことが、パワハラやいじめに繋がるのです。
また、コンプレックスが内に向くと、不安やうつを助長します。実際、私は、パワハラや不当解雇で無職になった時に得体のしれない不安感がありました。無職のイタリア人が飛行機に乗って日本に旅行に来てるのとは反対に、無職に弱かった私は乗り物恐怖になったこともあります。ブックオフで本を売り、職業欄に肩書を書く際に堂々と「無職」とは書けませんでした。
こういった社会的弊害が発露するとマズイ。
この整合性を整えるのは、部分否定はして、できない点は認めた上で、自分は人としてゴミではない、価値はあると思えることでしょう。

所詮、諸行は無常。変わりゆくのが世の常である
何がクールで、何がダサいかなんての価値判断は時代によって変わるのです。世間の価値観なんて所詮、そんなもんです。
昔は、プライベートを犠牲にし、残業する従業員が「企業戦士」と評価されクールとされてました。今は、心から満足して残業してないなら、無理やり残業させられてるなら「社畜」です。

曲解禁止:パワハラはならん、ならんものはならん


私の知人の女性で「自己肯定感」という言葉は嫌いという方がいました。
何故かと言うと「加害者を正当化する」からだそうです。
ご理解できます。多分、パワハラしちゃう短気な人が自己弁護、言い訳のために曲解しているのでしょう。
この記事で「ありのままの自分を受け入れる、他者の評価で自分の価値は決まらない」とは申し上げました。
でも、ハラスメントは駄目です。他人を悲しませたり、恐ろしい目にあわせたりしてはあきません。ならんものはならんのです。

俺は、厳しい指導をし、部下をつぶして這い上がってきたんだ。こんな俺でも、ありのままで受け入れろ。短気な上司でもありだろ。色々な奴がいて世の中ってもんだろ。


ダメよ。パワハラは。今の時代、行政指導されて組織にも迷惑かける愚かな行為なのだから。パワハラ気質の人はカウンセリングに行き、アンガーマネジメント講習を受けなさい。ありのままでは、いつ迄たってもブラックはブラックのまま。


実際に、こんな面倒ごとを引き起こしているのだから。

要は、人を悲しませないことはしない。人を傷つけることはしないの。仕事ができてもそれじゃダメ。
仕事できなくてもいいの、偉くなくてもいいの。優秀でなくてもいいのよ。健康で、健やかに生きてるなら親孝行よ。自己受容は難しいけどできれば天晴よ。


総括:自己肯定感とは、コンプレックスの克服やバッシングにタフになるには

世間の価値観など所詮空。世間のステータスも所詮色(しき)でからっぽ。自分の足場(自己受容)をしっかりすれば、そのような物差しに惑わされない、丈夫なメンタルの根っこが出来上がるのだ。
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