おっす、オラowakon。みんな元気にしってっか?今日は日曜だけどサザエさん症候群(日曜の夕方、明日からの仕事のことを想うと著しく気鬱になる症状)になってねえか、社畜のみんな。
さて、お戯れはこれくらいにして、前回の記事の続編を綴っていきます。
社畜的価値観からの解放:馬籠宿の自然とイタリア人の哲学が教えてくれたこと | 尾張社畜生存コンテンツ
今回は、馬籠宿と妻籠宿を結ぶハイキングコースと妻籠宿の旅情について語って行きます。道中、日本を旅してるイタリア人に出会いました。彼からは、心を軽くする哲学を頂いた。社畜の苦悩からの解放であります。社畜の苦悩、それは親から肯定されなかったアダルトチルドレンからの脱却とも言える。

心から刮目せよ。
いえいえ、お読みください。


疲れたメンタルを癒す旅:馬籠峠のハイキングの記録写真

この馬籠宿と妻籠宿を結ぶハイキングコースは全長8キロ、高低差は370メートル、(馬籠宿が標高600メートル、馬籠峠が標高800メートル、妻籠宿が標高430メートル)大体3時間で完歩できるコースです。こちら馬籠宿の高札場がスタート地点です。「熊出没注意」の看板が掲げられております。一応、クマよけの鈴を用意しました。

東海道中膝栗毛の作者、十返舎一九の句碑です。彼はこちらの名物「栗のこわ飯」について言及してます。彼の旅日誌はベストセラーになりました。いつかわたしのブログも。


馬籠宿ハイキングコースの最も高い地点の馬籠峠です。

暑い時期でした。標高800メートル地点でしたが、暑かったです。こちらの茶屋で一休み。馬籠宿にマッチする古き良き日本の建物。
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なんと。品物の値札がインターナショナルに英語表記になっています。古き良き日本の茶屋は、インバウンドの影響をもろに受けていました。たしかに馬籠のハイキングコースは外国人のハイカーは多いです。茶屋も需要をよく見て、流れに柔軟に対応してる。奥のSHAVED ICEというのはかき氷です。私も頼みました。これからは英語の時代か


美しく、気持ちのいい緑の中、整備された道を歩いていきます。ウオーキングなど運動は不安低減などメンタルの改善にいいみたいです。森のクマさんはなかなか出ません。

妻籠宿の休憩所です。やはり、オリエント日本スタイル。江戸時代の面影を残しております。外国人観光客の方にも大好評であります。中は、無料のお茶が用意されてました。(冷房はありませんでしたが。)この中では、江戸時代の工芸クラフトワークも体験するプログラムもありました。

囲炉裏が渋い。掛け時計も渋い。疲れた時に帰るおばあちゃんのお家というのはこんな感じなのだろうか。ブラック企業でこき使われた社畜に生暖かい飯と受容してくれるおばあちゃんがいるのかしら。
ただ、私にはそんな祖母はいなかったのですが。むしろ「おみゃーは甲斐性がなくていかん」と叱責された覚えがあります。
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江戸時代の参勤交代の絵と大正時代の馬籠宿の林業の写真でしょうか。先人たちの苦労が偲ばれます。当時はパワハラなんて言葉もなくお怒鳴りが当然の如くあったのでしょう。まあ、今もパワハラ上司の八つ当たりはありますけど(>_<)

国道の拡張に伴い、中仙道の車敷の一部を壊さないといけないところ、そこを維持したまま工事することにしたようですね。文化遺産を残す長野県の努力をリスペクト

長野県の妻籠宿のハイキングコースの美しい自然と小川です。日本の小川は水がきれい。社畜の目に刻みます。

ブラック企業労働に疲れたあなたへ:イタリア人の哲学がくれる生きやすいヒント

馬籠宿で出会ったイタリア人のエドさん。滝に打たれて日本の自然をエンジョイしてます。彼はなんと無職で、日本に旅行に来て、日本のネイチャーを味わう旅をしてるのだという。自由だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

彼とは、ハイキング中に知り合いました。馬籠宿のハイキングコースを歩いていたら、あちらから声をかけてきました。「Where is the right way?」(道はどっち?)私は、TOEIC500のスコアを持っていて、英語が少し分かります。私は、拙い英語で返答しました。「over there(あっちだよ)」と。そこから仲良くなりました。英語ができなかったら、苦笑いして立ち去っていたでしょうし、英語をまったくお勉強しなかったら、後のイタリア人の哲学に出会う機会はなかったでしょう。日本国に住んでいても英語を使う機会はありましたし、意味はありました。

人口10万あたり日本16.6人、イタリアわずか6.5人
これはなんの数字かわかりますか。
この数字は大変悲しく切ない数字です。
それは人口10万人あたりの自殺率です。
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さて、哲学の時間です。社畜のみなさん、みなさん、親や上司の言うことを盲目的に聞いてきて幸せになりましたか?
世間のこうだという規範を疑ったことはありますか?その規範は自分たちを、日本を、光かがやくものにしてきましたか。私の考えではNON。
おそらく、ブラック労働を援助、助長、促進し、己を縛り、不自由なものにしてきたはず。そして己を貶めて、自己肯定できず否定したはず。
そんなプチカルトくさいナンセンスマナーを疑い、捨て去るのをイタリアンが助けてくれました。イタリアンはサイゼリアなどの飯だけでなく哲学も美味い。自分の頭で考えてこなかった哲学なきハポネス(日本人)の脳みそに刺さりました。
自殺率の低いイタリアんの哲学、届け、社畜の皆に。
この生きづらさの日本社会で生存するヒントに少しは資するかと。
さて、エドさんのお話に戻ります。

社畜の価値観からの解放、イタリア人との珠玉の出会い
その後、一緒に竹林などをハイキングして、道中会話しました。彼は東洋の竹に興味があり、私は拙い英語で竹について説明しました。「それは、竹といって、表面はとても固い。時に銃弾は跳ね返す、だから猟師は竹の藪の中で発砲しない」などと。
また、彼は日本の川や滝を全身で味わうことを楽しみ、滝を全身で浴びるなど日本の自然をその身で味わってました。そのうちお互いの近況説明になりました。
彼は、エドさんと言って、30歳の男性で、無職にもかかわらず、日本に旅行に来ているとのことでした。私は、それを聞いて驚きました。しかも、辞めた理由が人間関係ではない。彼は塗装の仕事をしていたが、塗料の匂いが嫌で辞めたという。

『何ーーーーーーーーーーー、この男、無職なのに海外(日本)に旅行だと。この男なんという豪胆』
私、owakon。5年前は、パワハラで正社員の職場をリタイアしました。コロナショックということもあり、何故か得体のしれない不安が退職後湧いてきました。その下敷きには無職コンプレックスがあったのでしょう。無職コンプレックス。これが存外恐ろしい、厄介な心の悩みネタなのです。これぞ、昭和平成の呪いであります。曰く「無職の奴は、ダメニートで恥」というセンスであります。
このコンプレックスが強すぎて、私、5年前の無職時は、「乗り物恐怖症」や広場恐怖症をこじらせてしまいました。駅間のインターバルの長い電車に乗ると車内でプチ恐怖感が湧くという苦しい症状。
日本人の社畜は、無職になると電車すら億劫になるというのに、イタリアンは優雅に飛行機に乗って、わざわざ極東までやってきます。この差は一体?


ずばり、「親や世間から植え付けられた価値観や不自由な信念」でしょう。

例えば、
- 仕事は辛いもので、嫌な仕事も我慢しなければならない
- 給料を稼がない人間は駄目人間である
- 月収が男の価値だ
- 仕事をしない自分、財を生み出さない自分は価値がない
- 石の上にも3年
- すぐ仕事を辞めてしまう自分はヘタレである
- 目上の者に盲目的に従うものである
- 若い時に楽な仕事をしてちゃいけない。苦労は買ってでもせよ
- 艱難汝を玉にす
- 上司や先輩の寵愛のムチ(パワハラ的シゴキ)に根性で耐えろ
などなどのコアビリーフであります。平成時代の日本には「企業戦士」なる言葉もありました。企業に忠を尽くし、サービス残業だろうが、パワハラだろうが文句を言わない、権利を主張しないのが美学とされてきた歴史や価値観があります。

そして、そういった価値観は労働者を幸せにしてきたか?
おそらく否。「お客様は神様」という言葉もあり、お客様の利便には貢献してきたかとは思いますが。
過労死や過労うつをいたずらに生み出し、(KAROSHI、過労死は英語化してます)、上命下服の社風を肯定し、パワハラを援助、助長、促進して労働者の過労自殺に資すると推察できるあぶない価値観となったのであります。
そんな価値観で己を測っては、自己受容はできず、周りの目を気にして、自信を無くしメンタルは病むばかり。
あなたが、この治安がよく、便利な日本でもやもやしながら生きてるなら、親や世間の教えや価値観を疑ってみるべし。疑ってみるべし。疑って、自分の頭で思考することが哲学なのだから。
ドイツの哲学者、アンナ・ハレントはこう言いました「悪というものは、悪に染まった悪人ではなく、思考停止した凡人が引き起こす」と
そして、フランスの作家で哲学者のサルトルは「地獄とは他人のことばである」とのコメントを残しております。哲学して、自己受容して他人のディスリやバッシングなどスルーしましょう。

自己受容は単にわがままになるということではありません。お勉強ができなくても、お仕事が出来なくても、世間軸以外で自分を認め、自分の存在価値を考えてみるということです。自己受容の大事さは、心理学者のアドラー先生も指摘してます。ただ、アドラー先生はパワハラなど他人への迷惑行為は認めてはいないので曲解しないように。
そして、外国の人と触れ合うと呼吸の如く当然と受け止め、自分の教えられてきた価値観を異様であるとか自分にとって窮屈と気づき、考え直すいいきっかけとなるのであります。
さて、イタリアンの哲学的セリフ、見ていきましょう。



仕事は、見つけようと思えばすぐ見つかるか。なんとポジティブな考え。リストラされてこの世の終わりと考える日本の社畜とは違いますな。そして、焦ってブラック企業に就労せず、世間体ではなく自分自身を大事にする。自分の健康を大切にする。富は健康に勝る。





そうよね。まずは、自分の心身を第一にして、企業に無理に合わせての働き方はイケてないのよね。ハードワークのある日常は邪よね。




人生は楽しまなくては。というイタリアン哲学か。確かに我々は、企業や産業、GDPのために生まれてきたわけではないな。何のために生きてるか。苦行の先に何があるのか。自殺率の低い国の哲学、お勉強になります。

「昭和平成の日本のリーマンの心象風景」



社畜してた、私は「他人軸」や世間体の方を向いて生きてたのかしら。それでは、生き苦しくなるのも仕方ないわね。自己受容して、あまり他人の批判は気にせず、かといってわがままになりすぎず「和して同ぜず」ね。



東洋経済ONLINEより引用

私、昨年、某冷凍倉庫のリフトオペレーターとして、働いておりました。が、残念なことにパワハラが目立ちました。たしかにパワハラなどネガティブコミュニケーションが目立つといけません、それはブラック企業の特色の一つです。やる気はもう、作業場の気温と同じくマイナスになってしまいました。
そして、残念なことに日本はパワハラが多いお国柄です。これでは、従業員のやる気は世界で最下位になってしまうのもうなずけます。


無職は戒められるのか?怠惰とは。労働とは。


YouTubeチャンネル「(2チャンネル)無職に対する各国の印象の違い」より引用
日本人の社畜の皆様は、親や先生からこう教育されてきませんでしたか?
「無職はダメニートである」
「働いてないと堕落し、将来不幸になる」
「アリとキリギリスのキリギリスみたくならないようにもっと励みなさい。」
「無職の奴は、不良であり、社会人として終わっている」
「仕事は、苦行であり、己を磨くもので、仕事を通じて自己実現しなさい」
「持てる力の100%で会社のために頑張りなさい。」

「勤労の美徳、転じて呪いと化す」なんて言葉があります。勤労や努力を盲目的に賞賛する一方で怠惰や無職を激しくバッシングする思想です。
これは、社会に財やサービスを滞りなく供給する一方で、ブラックな職場からの速やかな撤退を阻害し、会社の言いなりになる、まさに社畜になることを促進する思想です。
私、社畜owakon。親や教師からそのような思想を叩きこまれ、不自由な想いをして、会社都合での失業時でも何故か漠然とした不安が出てきて、苦しみました。その不安の根源がよく分かりませんでした。今なら、不安の要因の一つが見えてきました。この価値観からの無職に対してのディスリやバッシング、そこからの自己否定ですね。
日本は、治安も良く、便利で快適で飯も美味い国なのに自殺率が高いのは、ひとえに「不寛容な人が多くて、ネガティブコミュニケーション(イジワル、パワハラ、嫌味、誹謗中傷)が多い」からでしょう。言葉が、お口が悪いのです。


ツイッターの削除要請件数日本が世界最多
ツイッター社(以下、同社)が半年ごとにまとめる「透明性に関する報告書」で1月25日、明らかにした。2021年1~6月の法的な削除要請件数は、日本に次いでロシア、トルコ、インド、韓国の順で、この5カ国で95%を占める。
Diamond Onlineより引用
たかが言葉となめてはいけません。プロの格闘家「武尊」も誹謗中傷から「パニック障害」を患ったのです。
ディスリやバッシングは辛い。そして、日本は、無職を攻撃する下地があるのです。思想的に。
が、しかーーーーーし。その思想は健全なのか、他人を幸せにしているのか

否。
イタリア人がそのことに気づかせてくれた。彼は、幸せそうだった。
しかも、驚くべきことに、彼はマナーのいいナイスガイであった。馬籠宿のハイキングコースをウオーキング中に、道中落ちていたゴミを拾っていた。

なかなかの公徳心。この行為により「無職の奴は、ろくでなしの不良である」という昭和の親父の言葉は事実ではなく胡散臭いということに気づくのであります。むしろ、ブラック企業で働いて、ストレスが溜まって他人を誹謗中傷する有職者のほうがヤバい。
辛い職場はとっとと辞める。仕事などで無理はせず、他人や世間の言葉を気に病むことなく、人生は楽しむもの
という人生哲学をもっているイタリアのほうが、自殺率は低く、ギスギスしてないように見えるのです。


さあ、社畜のみなさん、自分の頭で考えて、
昭和平成の教えから脱出しようではありませんか。
この支配、この思想からの卒業です。(尾崎豊)


本日のあなたに伝えたいこと(アダルトチルドレンからの卒業)

アダルトチルドレンからの卒業すると心が楽になるぞ。アダルトチルドレンから脱却すると、それだけで世の中が違って見える。自分が肯定できると、相手に圧倒されなくて済むぞ。
そのためには、本を読んだり、外国の価値観に触れ合おう。
大人になったら、疑い、自分の頭で考えよう。

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