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お疲れ様です。読者諸兄のみなさま。
皆様は「労働」というものをどう捉えてるか?
世間体や常識を疑ったことはあるか?
私は、昔は、労働を「神聖なもので、ライフと体を捧げて一生懸命に取り組むべきもの」と捉えておりました。プライベートなど当然後順位。残業に付き合い仕事に打ち込む姿こそ、美しい。と
今は、違いますよ。
「仕事は所詮、人生の一部で、あまり苦しまないようにマネジメントすべし。人生の楽しみを」です。
ゴーゴリ「人生のあらゆる苦しみは労働から生まれる。俺は、日に8時間も働かなくてはならない苦しみのために酒を飲む。」
ラッセル「勤労の美徳なんて、所詮、労働者を馬車馬のように働かせる社会的勢力者にとって都合のいい価値観なんだよ。」
馬籠宿で出会ったイタリア人エドさんの言葉

うむ、世界の価値観がまっとうで、昭和平成の価値観は特殊なのでしょう。
この勤労の美徳、「働くことは美しい、」が転じて、
「働かない奴はダメニートだ」「生活保護なんて受けるな」というバッシングに化けてしまった。

私、親からこの「勤労の美徳」を強く教えられて縛られておりました。その後、この価値観が大人になっても自分を苦しめるのであります。
コロナ禍で、ある職場をパワハラが原因で退職しましたが、退職してから後に理由不明の漠然とした不安に襲われました。
そして、夜、お家で不安が湧いて寛げない苦痛を味わうに至ります。
今回は、そんな社畜のストーリーを綴ります。
不幸の始まり、やはり昭和平成の産物パワハラ
今回、悲劇のはじまりは「職場のパワハラ」でした。令和においても小暴力や罵声を飛ばす上司や先輩がいるような職場でした。これは、精神保健上アカンと思い、退社することにしました。
このことは、以前の私のブログにも書いてあります。
パワハラで、退社することを決め、退職届を退職3週間前に所長に提出しました。
別に引き止められませんでした。寂しくもありつつ、ホッとしました。今、話題の退職代行を使うなんてことはありません。退職届を提出したあとは、新たな作業を覚えることもなく、比較的楽な作業に回されました。
退職してからは、制服を洗濯して返したり、職場の最寄り駅から通勤用自転車を引き取ったりして過ごしてました。
そんな日々を送っていた時期でした。
災難は突然やってきました。
夜に喰われた、自宅での不安の襲来
ある日、知人とバカ騒ぎをして、電車に乗って自分のアパートに戻ってきた時にその不安はやってきました。
自宅の部屋に戻って、洗濯物を取り込んで畳んでいた時です。突如、得体のしれない不安が襲ってきました。それは、自分がどうにかなってしまうのではないかというほどの恐怖にも似た衝撃でした。

こんなことは初めてでした。自分は、今まで上司のパワハラや深夜勤務の疲労から不安神経症になったことはあるのですが、それは電車の中とか、ショッピングセンターなど公共の広場が不安の思考場だったケースがほとんどです。
お家で寛げない、不安の出る思考場となってしまう。この苦しみはただ事ではありません。
お家は、心身を休めて寛いでホッとする場所なのに、その場所で安心できないなんて。
テレビ(その日は世界仰天ニュースが流れていたような気がします)を見てても、なかなか不安は落ち着いてきません。
自分はコントロールを失って、奇声でもあげてしまうのではないか、ご近所迷惑になってしまうのではないかという妄想に紐づけられた不安感が膨れ上がるのです。
なんとかしようと、TVを消して、布団に潜り込みますが、それでもまだ落ち着きません。
苦肉の策で、マイスリーという睡眠導入剤を服用してようやく気分が落ち着いて、寝付くことができて、その夜は、ひとまずしのぎました。
翌日から、一人で自宅で夜を迎えるにあたり、不安が湧き、コントロールできるか心配になってきました。まさか自宅の部屋が不安の思考場になってしまうとは。
湧き出る不安感への対応
さて、この苦しみ、前にも書きましたが、腰痛や腹痛よりも辛い。
コントロールを失って発狂でもしてしまったらというプチ恐怖なのですから。
こんな苦しみがあっては、眠れん。寛げない。しかも自室で。
では、どうやって対処するか、その社畜流のやり方をご紹介します。
1.便所に行ってマインドフルネス瞑想
理屈は、よく分かりませんが、便所の中は落ち着くのです。おそらく掃除や片付けるものなどがなく、やらなければならないものが目に入りにくいからだと思います。そんな空間の中で目を瞑って息を5秒吸って、2秒止めて、8秒で吐きます。
呼吸の方に意識がいって、不安の膨張が抑えられます。

上がったり下がったり、波はあれど、徐々に不安が落ち着き、コントロールできたと自信になります。
2、歩行の瞑想。
これは、歩きながらする瞑想です。歩くと言っても、普段の速度で歩いてやるのではなく、スローな速度で歩いて行います。長さ5メートルくらいの廊下を目を半眼といって、ばっちり瞑らず、下を半分開けながら、一歩10秒くらいかけて進み、一歩進む度に足の裏と床が触れる感覚や太ももとズボンが触れる感覚に集中します。
雑念が出たら、そこで少し止まり歩を止め、眼を瞑って深く呼吸し、落ち着いたら再び歩き出します。
この歩行瞑想を30分ほど行います。
3、夜の散歩
あとは夜の散歩でしょうか。不安とは脳の偏桃体という部位が活発になり、勃発する感情らしいのです。そして、この偏桃体という脳の部位、我々人類が野原を駆け巡っていた縄文時代から変化していないみたいなのです。
縄文時代、偏桃体は、熊やトラなどの猛獣が近づいてきた際に「動け」と指令して、不安や緊張を促すノルアドレナリンを分泌してきたのだという。だから、動けば偏桃体が納得して、不安は治まるという理屈らしいです。
そんなもんだから、私は、夜不安が出てきたら、近くのコンビニに買い物に出かけたり、川の遊歩道にでも散歩に行ったのです。歩くと少しは不安は落ち着きました。
不安の根源、アダルトチルドレンと過剰な「勤労の美学」
そもそも、この不安はどこからくるのか?
それがその当時は、よく分かりませんでした。当時はコロナ禍で日常的にマスコミがコロナの被害を報道してて、コロナで亡くなった人の情報や30代で重症化し呼吸器つけて苦しんでいる方の映像などが流れていて、不安はありました。なにせ死に導く可能性のあるウイルスがそばにいるかもしれない恐怖が身近にあった。
しかし、その一方で、若年層(当時わたしは30代)はそれほど被害は甚大ではなく、仕事に就いていた時期はそれほど不安が強いというわけでもありませんでした。
不安が強くなったのはパワハラ職場を退職し「無職」になってからでした。
この不安の背景には、昭和平成の教えすなわち「勤労の美学」が心の奥底にあって、さらに正確に言うとその勤労の美徳が転じてのバッシングです。
フランスの哲学者サルトルの言葉に「地獄とは人間のことである」という言葉があります。これは、人を悩まし、死に追い詰めるほど悩ませるのは、世間体や世の価値観からのバッシングであるということです。
平成時代は働くことが、残業することが、美徳とされました。高市首相も「働いて働いて働いて働いて参ります。」と言ってたくらいです。
その逆に働いてない者は「ニート」と呼ばれ、覇気のない、社会のお荷物扱いされ、バッシングの対象となったのです。
事実、証拠の資料を挙げます。


細川てんてん、「ツレとてんてん、うつの先生に会いに行く」朝日新聞出版より
この細川てんてんさんの旦那さんもうつで仕事辞めてから「平日のお昼からブラブラしてたら変に思われる」という無職不安からの思い込み、他者評価で心を悩ませていたようです。
私も、昔、パワハラが原因で仕事辞めて無職になった時にBOOKOFFに本を売りに行ったのですが、売却時に売り手情報シートに職業欄があるのですが、そこに「無職」と堂々と書けませんでした。タハハハハ。

YOU TUBE Gabalaboチャンネル より引用
こちらのユーチューバーチャンネルでも勤労の美徳が紹介されています。「ちゃんと働くことが当たり前」という価値観がある。その通りで、「大人になったら働くなんて当然、無職は冴えない、サボってはいかん」という意識が自分の中で、当たり前すぎて、そんなことは普遍ではないと全く疑いませんでした。親が子供のころ「無職の兄ちゃんが不良になって警察沙汰をやらかす」と無職の人をバッシングしてました。親や教師から勤労の美徳を洗脳されました。

電子版 gendaiより引用
私事で恐縮ですが、こんなことがありました。
あれは7年ほど前、兄が彼女を実家に連れてきたことがありました。その時、兄は彼女を弟の私に紹介するどころか、あろうことか無職の弟を隠そうとしてきました。
兄は言った。「無職の奴がいると世間体が悪いから(女を家に連れてるときは)コメダにでもいっとれ」と
臭いものに蓋をしてひでえと今は思いますが、7年前は「そんなのまあ分かるわ」と納得してました。
無職バッシングを受け流し自己否定を治癒するには



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